この世から、あの世に持っていけるものをたくさん手にしよう!
最近たまたま目にしたニューヨーク在住のエリカさんのブログ。
エリカさんは、生き方本をたくさん出されていて、彼女の本は昔買って読んだことがある。強運とポジティブ目白押しみたいな本だった。この表紙の本を知っている人もいるのでは?
その彼女のブログで、今年の夏、体調が優れないお母様と、バケーションを一緒に過ごすために日本に一時帰国した際、ご自身がなんか肋骨が痛いので検査をしたら、肺がんだったということが綴られていた。検査の結果は、ステージ4だったとのこと。
現在、前向きに闘病をしていて、ポジティブに、美しく、強く、変わることなく想いが綴られている。
ポジティブに、人生を生きていても、ある日、突然病が襲うんだなと、改めて、生きるってことと生きているときにすべきことについて考えたのだった。
たまたま親友に送ったメールの返事に命に関わる病気で急遽入院したという文字が
18歳の時に出会い、ずっと仲がよかった親友を私は、突然病気で亡くしています。
当時私は、ものすごく忙しくしていた時期。自分も過労とストレスから体調がよくはなかった。
何度か、彼女から会おうと言われていたのに、子育て中の彼女の家に行けるスケジュールがとれなくて、全然時間を作れないでいた。
そんな中、学生時代に彼女が憧れていた先輩に、サークルの同窓会で再会したので、彼女が喜ぶかなと思って、写真とメッセージを送ったのだった。
そうしたら、返ってきた返信には、最近重い病気であることがわかり、気づいたときには、だいぶ悪化しており、大学病院に入院しているという返事だった。
私は、携帯を持つ手が震えて、涙が止まらなくて、その場にしゃがみこんでしまった。
とにかく病院に行こうと、一番早く面会できる日に行くと約束した。
病院は、生花を持ち込むのがダメな場合もある。
お見舞いに行く前に、何か買っていこうと、デパートに行き、愕然としたのだった。
そこに売られているものは、健康で退院の見込みのある人が使うものばかりだった。
美味しいお菓子も、可愛い雑貨も、化粧品も、本も、何もかも、健康な人に贈るギフトだったのだ。あげられるものがないと、また、デパートでも涙があふれてきた。
病室で手を取り合って号泣する私たち
何かあげられるもの、と考え、私がお見舞いに持っていったのは、ヒーリングミュージックのCDだった。それくらいしか思いつかなかった。
病院に着いて、彼女の病室に入り、顔を見た瞬間、二人で手を取り合ってしばらく号泣してしまった。
何も言えなかった私に、彼女が先に言葉を発した。
「美木ちゃん、ヒメクラブのこと大変だったね、自分の子供のように人生賭けて大事に育てた事業を辞めざるを得なくなって悲しかったし、辛かったね」って彼女は泣くのだった。
私は、8年間ほぼ休みなく働き続けており、その直前に、過労で倒れ、息もできなく、震えと涙が止まらなくなってしまい、医者にもう、しばらく休んでくれと言われていた。しかしそれができる状況ではなく、精神的にも肉体的に相当まいっていた。ギリギリまで頑張って、もう、これ以上続けたら私、本当に、まずいなとやっと思ったのだった。そして、投資家に責められながら、社長を辞任した時期だった。
あの当時のことは、今も思い出したくもない、実は、誰にも言っていない、本当につらい状況を経験している。あの当時の私は法律にも詳しくなく、体調も悪くて頭も回っていなかった。なのでだいぶ不利な、今思えば、ちょっとないなというような条件にサインをさせれたのだった。今思えば、法的にそれって有効なの?って部分もある。
あの時の私は、法律に疎く、馬鹿だったので、しょうがない。
今の私だったら、逆に、先方に対して、反撃をしていたと思う。法的にも、今思えば、十分できた状況だった。
いっぱいいっぱいの体調の中で私は、誰にも相談せず、周囲に金銭的にも業務的にも迷惑をかけず、一人で責任を負い、何も言わせないよう、息絶え絶えな中、きちんと対処をしたのだった。
まあ、だから、今があるのだけどね。無責任に逃げていたら今の私の立場はない。あの時の私、本当によく頑張ったと今でも思う。考えると可哀そうで涙出るわ。精神的に弱い人なら命を絶ってた人もいると思う。それくらいの辛さだった。
正直ね、ずっとトラウマだった。
人が信じられないっていうか、怖かった。
ここ数年だ、よし、私、またパワフルに復活するぞ、と思えたのはね。それまでは、どこか、仕事で目立つことが怖くて怖くて、怯えて生きてきた。気持ち的に、失われた10年みたいな感じだった。
当時、その状況を知っていた親友は、自身の病気がもう末期だと告知されていたのにも関わらず、私のことで病院のベッドでオイオイ泣くのだった。彼女は、どんな時でも人を思いやれる優しい子だった。
号泣したのに、その後、私たちは、思い出話に笑い合った
その病室で、彼女と私は、しばらく、学生時代からの思い出話をしていた。学生時代好きだった子のこと、サークル合宿で、私がサークル代表の同級生男子と2年連続で大喧嘩を繰りひろげたこと、バレンタインデーにチョコレートを一緒に渡しに行ったときのこと、クリスマスイブを一緒に過ごしたこと、一緒に旅したこと、元カレのこと、友達がアメリカ留学したときのこと、ディスコパーティーに行ったときのこと、ダブルデートしたときのこと。
私たちは、その話をしているときは、笑顔だったし、ときには、信じられないけど爆笑もしていた。
そこで、私は気づいたのだった。
デパートでお見舞いに何も買うものがないと涙でちゃった私だったのだけど、彼女に私が持っていけたものがあったのだ。
それは、楽しい記憶だった。一緒に経験した、数々の楽しい記憶だった。
今手にしているものは、全部、あの世には持ってはいけない
お金、お気に入りの服やバッグ、車、家、経営している会社、肩書、地位とかさ、何もあの世には持っていけないんだよね。
それを手にしても、旅立つときには、持っていけない。
必死にそれを手にしようとし、今何かを我慢したり、無理しているとするなら、なんか、馬鹿馬鹿しくないですか?
私は、当時、強くそれを感じました。
この世を旅立つときに持っていけるものは、この世で、色々な経験をしてきた記憶だけなんだよね。
さっきさ、私が、トラウマになるくらい辛い経験をした、と書いたけど、それすら、私にとっては、今になってみれば、ひとつの大事な経験だったりする。そこから私は法律にも詳しくなり、経営者としても成長できたのでね。
そして、投資家のいない環境で自由に仕事ができる解放感と幸せ感たらないわ(笑)ってことが、今の私にはよくわかる。本当に今私は幸せだ!人に支配されることなく、自由に仕事ができるって、幸せ♡
そして今、大多数の人が手にしている本当に素晴らしいもの、それは、何かを経験できる健康な体なんですよ。
ありがたいんですよ。健康ってだけで、それだけでどんな夢も叶えられる可能性もあるからね。
あのとき、病室で彼女は元気になったら、お寿司食べたい、ハワイ行きたいって言っていた。
それもこれも、健康でなければ叶わない。
だからね、今を生きましょ。
未来のためじゃなくて、今を生きよう。我慢なんかしないでね。
やりたいことは、なるべく、今やるのだ。
いつか独立したいとか、いつか海の近くに住みたいとか、そんなことを思っているのなら、今やるのだ。
グチグチ悩んでいることがあったら、後回しにしないで、今すぐ向き合おう。
とっとと自分らしく生きて、この世でたくさんの経験を積んで、いつかこの世を旅立つときに、たんまり想い出と達成感を持っていきましょう。