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人生の選択を間違えない、本質を見抜く人の洞察力は何が違う?

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人生の選択を間違えない本質を見抜く人の洞察力は何が違う?

長く生きているとこんなことを思うことはないですか?

なんで、あのとき、あれに気づかないで間違った選択をしてしまったのだろう…、とか。

私も、人生を振り返れば、そんな後悔のひとつやふたつはあります。

そんな時は大抵、同じような状況下にあります。
それは、洞察力のセンサーがくるってしまっている、
または、そもそも、そのセンサーを自ら切ってしまってるときなのです。


そして、逆に、周囲が気づかないことに気づき、仕事がうまくいったり、得したわとか、救われたわ、みたいなこともたくさん経験してきました

私は、そういうのが人より多く、周囲の人たちは、運がいいとか、勘がいいとか言いますが、そのような行き当たりばったり的なものだけではないんです。

そもそも、勘を働かせる前に、洞察力を使っているのですから。

そこで、今回は、物事の本質を見抜く人って、何が違うのか?ということを解説していきたいと思います。

洞察力とは何か?

洞察力とは何か?
それは、「本質を見抜く力」です。

私は、マーケティングの仕事をしているので、これ、仕事のシーンでも、すごく大事になってきます。

マーケティング調査なんかでは、消費者の本音は何なのか?
なんていうことを常に観察しています。


それをなんとか引き出そうとします。

例えば、消費者調査のグループインタビューなんかで、この商品、私なら欲しいです、きっと買います、とか調査対象者が発言したとしても、決してそのままの言葉通りに信じたりはしません。

言葉通り100%受け取っていたら、世の中ヒット商品だらけです(笑)

なので、洞察力がある状態でいることが仕事上でもすごく大事になっています。

ただね、仕事の一業務であれば、途中でも最悪修正もききます。
方向転換も手遅れになる前だったら、できます。


問題は、洞察力がなかったために、人生に起こることの大事な判断を間違えてしまい自ら不幸になっていってしまうことです。

本質を見抜けないと、経済破綻とか最悪はストレスなどから病気になってしまうとか、困ったことになってしまいます。

ものごとの本質を見抜くって本当に大事なことですよね。

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そうはなりたくない、人生の選択の瞬間に、本質を見抜けず不幸になってしまう人4選!

じゃあ、どんな場合、人は、洞察力がきちんと機能せず、人生の選択で失敗してしまうのか?
今から、その原因でありがちなものを挙げていきたいと思います。

私もね、かつては、これが原因で、何度痛い目をみたことか!(笑)

1,そのジャンルにおいて自分は人より詳しいという驕りがあるとき

たぶん、一番あるあるなのは、これだと思います。

そのジャンルの学問を学んできたし学位を持っている。
長年その仕事をしてきた。

専門知識を持っている。

こんな人が実は一番危険だったりする。


なぜ危険かというと、小さなほころびや矛盾に気づかないから。

例え、少し、あれ?と思うようなことがあっても、自分が積み重ねてきた学びの方が正しいと信じ、小さな矛盾やほころびを見ても、今までの自分の積み重ねてきた知識を疑うってことをしない。

だから、実は、こういう人が選択を間違えたと気づくときは、すでに手遅れであることが多いのです。

自分が詳しいと思っているジャンルほど、常に、客観的視点、他業界の人の違和感などからくる意見を再度検証する労力を怠らないこと!
そうすれば、これは回避できると思います。

2,肩書きや権威を盲信してしまう人

これ、危険だよね。

時代は常に変化しています。
なので、昔正しかったことが、今は正しくはない場合もあります。


肩書や権威って、過去の行いに対して与えられていることが多い。

だから、今現在、その人の意見が全て正しく、最先端かというとそこはその人が常にアップグレードしていなければ、時代に合わない発言をしていることもある。

また、肩書や権威を持つ人の背景には、様々な複雑な利害関係が絡み合いながら発言している場合があることも心に留めておく必要があると思います。

そんな背景を読み取りながら、意見を聞き、本質を見抜く能力も洞察力のひとつです。

3,実際に自分の目で確かめることを省く人

マスコミで報じられたことを、全部、鵜呑みにしてしまう人。これも、危険です。

だって、取材する人も人間です。
その人のフィルターを通して書かれたものなので、全てが正確で正しいかはわからない。


また、組織としての、方向性や利害関係などもあり得るので、あくまで、情報のひとつとしてとらえるのが正しい。

人生に関わってくることであれば、自分で、裏付けデータを調べることを省いてはいけない。

資産運用や経済に関すること、健康維持や生命に関すること、防災に関すること、はとくにだ。

4,小さな違和感を無視してしまう

これって、矛盾してないか?とか、この人、この前言っていた発言と、今言っていることや行動が違くないか?なんていう自分だけが気づいてしまった違和感。
これを、無視してはダメだ。


私は、ものすごーーーーーく記憶力がいい。
学校の勉強の暗記は苦手だったのに、人の発言と行動は、はっきり言って、幼稚園時代にさかのぼってまで覚えている(笑)


この能力が、実は、世の中で起こっていることを分析するのに役立っている。

すーぐ矛盾点に気が付いてしまう。絶対に浮気とか見抜く自信あるわ(笑)

この小さな違和感を無視してしまう人は、人生の大事な選択をするときに、間違った判断を下してしまいがち。


人にはさ、みんな、実は、自分に不幸をもたらすようなことには、気づくセンサーがついているのよ。
それは、なんかモヤモヤするという違和感などでやってくる。

これを気のせいだなんて片づけてはダメだ。
とことん、真実を追求しましょう。


その小さな違和感は、いずれ、大きな不幸につながっているかもしれないのですから。

うっすら気づいているのに、不幸へまっしぐらになる人は全て「認知的不協和」が原因

本質を見抜けるのに、自ら間違えているかもとなんとなくわかっていながら、不幸な選択をし続けてしまう人がいます。

実はさ、人生の選択を、間違えて、どうにもならない段階までいき、ドン底まで行く人って、本質を見抜けない人じゃないんですよ。

本人途中でわかっている人がほとんどだと思う。

実は、割と分析力があり、頭のいい人のほうが、こういうことに陥ってしまいます。

まさか?わざわざ、自分から不幸な選択をし続ける?そんなバカな?と思う方もいると思うのですが、けっこうこういう人が多いと思います。

その原因とは何か?

それは、認知的不協和が原因だと思います。
なんか難しそう?


認知的不協和とはどんなことかというと、自分が認知していることとは、別の矛盾する認知を抱えた状態をいいます。


要するに、自分がずっと信じてきたことと、辻褄の合わないことがあると、知ってしまったような状態です

でね、ここからが、人生をより不幸な方向に人が突き進んでしまうという問題があるのですよ。

それは、自分がずっと信じてきたことと矛盾する証拠なんかを見つけてしまった場合、この見つけちゃった証拠に対する自分の解釈を変えたり、過小評価したり、逆にね、それを指摘した人を何もわかっていない無知だと馬鹿にしたり、見下そうとしたり、反撃したり逆ギレしたりします。

いませんか?そういう人(笑)

わかりやすい例で言うと、
どう考えても本人大事にされてなく浮気してるであろう恋人がいる友人に、恋愛相談をされているとしましょう。


相談者から、様々な浮気らしい証拠を見つけた話を聞いてる側は、それ、絶対浮気しているね!

彼、あなたのこと全然大事にしてくれないし、ひどいじゃん。別れた方がいいよ、とかいうとさ、

ううん、違うと思うんだよね、多分。
彼は忙しくて、自分に心配をかけないために黙っているんだとか、誤解されないためにそうしているんだとか、


よくわからない、自分に都合のいい解釈をしてくる人ってませんか?(笑)

まさに、それよ、それ。

目の前に起きていることや知ってしまった情報を、自分に都合のいいように認知を変えて、自分を今まで通りの精神状態に保っている状況のようなことです。

こういう状態が、恋愛だけではなく、人生の様々なシーンで起こります。

証拠を見つけても、データを見ても、ううん、それは違う、と言い続ける。

自ら調べない。現実を見ない。
調べると、認知不協和を起こすから、調べたくない。


または、それを指摘する人と自ら疎遠になることで、自分の信じていたものを信じ続ける。

これが、まだ間に合うのに、洞察力を無視して生きる人の原因です。

残念ですね。

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自分のプライドと自尊心を守るのか?現実での幸せを目指すのか?

そもそもさ、知識や情報はさ、人間が精神的にも肉体的にも健康で、豊かだと思え、充実した人生を送るために、得ようと思うものじゃないですか?

だから、人は、色々調べたり、知識を積み重ねたりする。

なのに、学び過ぎてしまった人は、途中からそれが本末転倒になったりもするのだよ。

学んできた、努力してきた自分の知識を無駄にしたくない、その積み重ねと歴史を自ら否定したくない、という想いが強くなりすぎてしまい、結局、正しい判断ができない状態になってしまい、自分を不幸な方向に導いてしまうのだ。

自分は知っている、誰よりも詳しい、と、なってしまっているジャンルがある人ほど、気をつけないと、人生を大きく踏み外してしまうことが起きてしまいがち。

あなたが必死で得てきた学びや知識や経験値は、そもそも、自分や誰かを幸せにするためだったのだ、ということを忘れてはいけない。

目指しているところは、誰しも、幸せである、という状態だ。

現実を逃げずにしっかり見つめる。
違和感を放置しない。
洞察力を働かせる。
権威や肩書きよりも、実際のデータや目の前で起こっている事を信じる。
自分の”誰よりも知っている”という、傲慢な考え方を捨てよう。


私たちは、人に尊敬されるため、賞賛されるために生きてるのではない。

この人生を大事にし、精神的にも、肉体的にも、健康で幸せを感じる心を持ち、自分自身が心から、自分の人生を満喫するために生まれてきたのだから。

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